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みなとミュージローブログ

2019年06月12日

「今月の逸品ver.2」 vol.25 日本海事センター海事図書館の「ロイズレジスター」

「今月の逸品ver.2」第25回目は、日本海事センター海事図書館の「ロイズレジスター」です。

ロイズレジスター(正確な書名は「Lloyd’s Register of Ships」。「ロイドレジスター」「ロイズ船名録」とも呼ばれます)は、イギリスのロイド船級協会が作成した船名録です。当初はロイド船級を与えられた船のみが掲載されていましたが、その後、他の船級を与えられた船も掲載されるようになり、最新版の2018-2019年版には世界中の100総トン以上の船、20万隻以上が収録されています。

 当館では、創刊された1764年から1833年のものをリプリント版で、1876年版から現在までをオリジナル版で所蔵しています。第2次世界大戦の前後(1941年~1948年)は残念ながら所蔵していませんが、その他は全て揃っており、来館された方は書棚から自由に手に取って閲覧することができます。一部、紙が劣化してしまったものについては、マイクロフィルムで閲覧が可能です。



   

                

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at 11時01分

2019年05月10日

「今月の逸品ver.2」 vol.24 海とくらしの史料館 の『「ホホジロザメ」のはく製』

「今月の逸品ver.2」第24回目は、海とくらしの史料館 の『「ホホジロザメ」のはく製』です。

当館の「ホホジロザメ」のはく製を紹介します。
体長3.9mの雄のサメです。

映画「JAWS」のモデルともなり、人を襲った記録が多いサメです。体調4~6m、体重1t~2tと大型で最高速度は25㎞~35㎞程度といわれています。好物はアシカやアザラシ等の海洋性哺乳類なので、好んで人間を襲うわけではありません。
卵体性(卵を胎内でふ化させる)ですが、母ザメは胎盤を作らないので、子ザメは卵黄がなくなると、新しい卵子や自分の兄弟の共食いをはじめ、胎内での生存競争に勝った子ザメが生まれます。これは卵食・共食い型の繁殖といいます。


山陰地方ではサメを「和邇(わに)」と呼び、縄文・弥生時代より食べていたことがわかっています。大きな釣り針も発掘されており、捕獲方法は釣りではないかと推測されますが確定には至りません。鳥取県ではサメの線刻画も多数発見されていることから、サメへの特別な感情があったこともわかっています。


当館にはこの他40種類のサメのはく製を展示しています。7月13日より「サメ祭り」を企画しておりますので、近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。





  

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at 10時46分

2019年04月03日

「今月の逸品ver.2」 vol.23 あおもり北のまほろば歴史館 の「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」

「今月の逸品ver.2」第23回目は、あおもり北のまほろば歴史館 の「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」です。

・あおもり北のまほろば歴史館に収蔵展示されている木造漁船67隻は、平成9年に「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」として国の重要有形民俗文化財の指定を受けています。これは旧みちのく北方漁船博物館が平成6年頃から北日本地域(青森県全域、秋田県・岩手県の北部、北海道の南部)の海岸を実際に歩きまわり、収集したものです。
・このコレクションは、ムダマハギ型漁船が使われている地域から、丸木船を含めてすべての種類のムダマハギ型漁船とムダマハギ型から直接発達したシマイハギ型漁船を集めているため、木造漁船の進化する様子が良く分かるのが特徴です。 
・東北地方北部から北海道にかけての地域では、船底を丸木船を浅くしたような材料で作った船が使われています。この材料はムダマと呼ばれ、ムダマを使った船をムダマハギといいます。ハギとは材料を接ぎ合わせて船を造ることで、ムダマハギとはムダマを使って造船した船という意味です。このムダマハギは、丸木船から板合わせの船(シマイハギ)に変化する途中の船で、船の歴史を知るために重要といわれています。
・そのほとんどは、漁師が1~2人乗り、岸から近くの岩磯で船の上から海底をのぞき、アワビやウニ、ワカメやコンブなどをとるのに使った船です。

 

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at 13時50分

2019年03月12日

「今月の逸品ver.2」 vol.22 口之津歴史民俗資料館 の「口之津灯台の初代レンズ ~灯台に見る近代世界の発展~」


「今月の逸品ver.2」第22回目は、口之津歴史民俗資料館 の「口之津灯台の初代レンズ ~灯台に見る近代世界の発展~」です。

 江戸時代の航路標識は「燈明台」や「常夜灯」と呼ばれる建造物に、松明や篝火を灯すというものでした。
 明治維新後、日本は欧米の文化や技術を積極的に取り入れました。口之津灯台もその一つで、フランスの技術者オーギュスタン・ジャン・フレネルによって開発された「フレネルレンズ」が大きな特徴です。
 1800年代初頭、ニュートンの「光の分子説」によって迷走していた西洋光学は、フレネルが提唱した「光の波動説」を邪道として、最初は排除していました。そこでフレネルは、フランスで最も歴史のあるコルドゥアン灯台のレンズを製作し、その公開実験をパリの凱旋門でおこない「光の波動説」を実証しました。それでも、フレネルの理論を形にする技術が伴っておらず、完全なフレネルレンズは1854年にようやく完成を見ます。実にフレネルの死後27年を要しました。
 当初フレネルレンズの製作は、フランスが独占していましたが、イギリスのチャンス・ブラザーズ社も徐々に技術力を高め、世界市場に参入するようになりました。このチャンス・ブラザーズ社は、当時のイギリスを代表するガラスメーカーで、1851年のロンドン万博では、メインパビリオンとなる「クリスタルパレス(水晶宮)」を手掛けました。さらに、ビッグベンの時計盤の乳白ガラスや、アメリカのホワイトハウスの装飾ガラスの製作にも携わっています。また、地中海の入口であるジブラルタル海峡のエウローパ岬に立つ灯台は、戦略的要地であるため、イギリスのトリニティ・ハウス(イギリス水先案内協会)が管理していました。1864年、この灯台が改修された際、そのレンズの入札で、当初フランスのメーカーが落札しましたが、イギリス海軍フレデリック・アロー軍師の「この灯台は、他のいかなる灯台よりも多くの、しかもあらゆる国籍の人の目にとまる。1週間のうちにここを通過する船の数は、他の灯台の数年分の統計における1週間より多い。そのような灯台のレンズは、ぜひともイギリス国産であるべきだ」という意見によって、トリニティ・ハウスはやむなく入札契約を撤回し、チャンス・ブラザーズ社にレンズの製造を依頼したという逸話も残っています。
 口之津灯台の初代フレネルレンズは、このチャンス・ブラザーズ社で1877年に製作されたレンズであることが、その銘鈑に刻まれています。口之津という地方の灯台を紐解くと、日本の歴史、さらには世界の歴史ともつながっていることがよく分かると思います。

※口之津灯台は2019年3月26日にLED灯器に変更され、139年間使用されたフレネルレンズは、その役目を終えました。

 

 
 

 

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at 13時59分

2019年02月06日

「今月の逸品ver.2」 vol.21 新上五島町鯨賓館ミュージアム の「魚目浦絵図(新上五島町指定文化財)」

「今月の逸品ver.2」第21回目は、新上五島町鯨賓館ミュージアム の「魚目浦絵図(新上五島町指定文化財)」です。


 17世紀後半、当時の魚目村と有川村の間で、有川湾での漁業に関わる海境論争が起こりました。この絵図は魚目村側が江戸の評定所に資料として提出するために、貞享5年(1688)長崎の絵師、溝口七郎兵衛によって描かれた絵図2枚のうちの控えです。この控えは、もともと五島富江家に伝わっていましたが、昭和8年(1933)、似首の事代主神社の火災で原本が焼失したために、神社再建の折、同家から贈られたもので、現在、鯨賓館ミュージアムにて所蔵しています。昨年、修復作業を実施し、常設展示しています。
 この絵図には、当時の主要な漁場、地名の由来、歴史、神社など詳細に記されており、新上五島町の江戸時代初期に描かれた数少ない絵図の一つで、大変貴重な資料です。


   

                      展示の様子


                                    

                        魚目浦絵図


新上五島町鯨賓館ミュージアムの情報はこちら

at 10時25分

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