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みなとミュージローブログ

2021年01月19日

「今月の逸品 ver.3」 vol.8 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の「飾り毛布」

「今月の逸品ver.3」第8回目は、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の「飾り毛布」です。

 八甲田丸は、1988年の現役引退後、1990年7月から「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」として一般公開されています。
 船内は、操舵室や車両甲板、エンジルームなどを往時の姿で青函連絡船80年の航跡を紹介しているほか、就航当時寝台室に飾られていた「飾り毛布」の継承も行っています。
 飾り毛布のサービスは、1900年頃、日本郵船の外洋客室で始まったサービスとされており、1908年に運航が開始された青函連絡船には、日本郵船から旧国鉄に移った船員により、伝えられたものと推測されています。
 現在、八甲田丸では2階のエントランスや3階展示室の他に、船長室・事務長室・寝台室にも作品が飾られており、就航当時を再現しているほか、3階展示室では、飾り毛布の折り方を映像やパネルで紹介しているコーナーもあります。


 

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at 10時30分

2020年12月11日

「今月の逸品 ver.3」 vol.7 大和ミュージアムの「96式150センチ探照灯(反射鏡部分)」

「今月の逸品ver.3」第7回目は、大和ミュージアムの「戦艦『大和』型に用いられていた96式150センチ探照灯の反射鏡部分」です。

 96式150センチ探照灯は日本海軍が使用していた最大の探照灯で,主に防空用として陸上の砲台等で用いられていました。反射鏡部分は直径1.5メートル,厚さ1センチのガラス製で,放物面の凹側に銀メッキがしてあります。
 この反射鏡は予備品として終戦時に残存していたもので,戦後は太陽炉の実験等に活用されてきました。
 日本海軍が海上や陸上で索敵用に用いていた大型探照灯の反射鏡直径は,150cm(8,000m),110cm(6,000m),90cm(4,000m)の3種類(括弧内は有効照射距離)。水上艦においては,最大クラスであった大和型の戦艦にのみ150cmが用いられました。
 大和ミュージアムの1階常設展示室「呉の歴史」で現在展示しています。ぜひご覧ください。

  

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at 10時32分

2020年11月02日

「今月の逸品 ver.3」 vol.6 神戸海洋博物館の「ゴンドラ(Gondola)」

今月の逸品ver.3」第6回目は、神戸海洋博物館の「ゴンドラ(Gondola)」です。

1968年、イタリア政府とベニス市の特別な厚意により、日本に初めて輸入された実物です。材質は樫(Oak)。船尾左舷側のポッパ(Poppa)と呼ばれる台の上に、ゴンドリエーレと呼ばれる船頭が立ち、長さ3メートルの櫂によって船を操ります。船頭が左舷後方に立って漕ぐため、バランスを考えてゆがんで傾いた船体構造をしています。
長さ : 11m
幅  : 1.7m
定員 : 6人
材質 : 樫

  



  



  

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at 12時34分

2020年10月01日

「今月の逸品 ver.3」 vol.5 名古屋海洋博物館の「韃靼図(だったんず) オルテリウス製作(1570年製:実物)」

「今月の逸品ver.3」第5回目は、名古屋海洋博物館の「韃靼図(だったんず) オルテリウス製作(1570年製:実物)」です。

韃靼とは、タタールの音訳で、モンゴル高原のタタール部を指した言葉です。地図の中央左端にカスピ海、右下近くにIAPAN(日本)、右端はアメリカが描かれています。ただし当時は、ベーリング海峡は発見されていないため、アメリカ西岸は想像で描かれています。ポルトガルによって日本のことは西洋に伝わっていましたが、測量をしたわけではないため形が不正確です。鹿児島、豊後、山口、土佐、大坂、都(みやこ)などの地名が見られます。 

  

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at 10時51分

2020年09月10日

「今月の逸品 ver.3」 vol.4 フェルケール博物館の「戦後の蘭字一括」

「今月の逸品ver.3」第4回目は、フェルケール歴史博物館の「戦後の蘭字一括」です。

 江戸時代末から海外輸出された日本の緑茶は、木製茶箱に貼られた蘭字と呼ばれる木版ラベルで知られています。現在では、蘭字は、錦絵に続いて明治・大正時代に制作された木版印刷物として研究や展示の対象となってきています。この蘭字は昭和時代に入ると、現在の印刷技術と同様なオフセット印刷の蘭字へと変わってきました。また、アメリカで紅茶やコーヒーが好まれるようになると、緑茶の輸出先は旧フランス植民地のアフリカや西アジア地域へと変わっていきました。そのため、オフセット印刷の蘭字にはフランス語「THÉ VERT」とアラビア語でも「緑茶」と記されています。当館では静岡で印刷されて清水港から積み出された戦後のオフセット印刷の蘭字資料を300点ほど収蔵しています。
 今では豪華客船が着岸する清水港の日の出埠頭では、戦後にアフリカ向け緑茶が盛んに積み込まれて、東南アジアからインド洋、スエズ運河を抜けて北アフリカへと運ばれていきました。アフリカや西アジア向けの蘭字には、アフリカの動物やエキゾチックなアジアの風俗が描かれ、雰囲気もだいぶ変わってきました。そして、当館で収蔵する戦後の蘭字の裏にはフランス語の地名や人物名が書かれているものがありました。調査したところ、これらの地名は茶葉が陸揚げされたアフリカ北岸の港町、アルジェリアのアルジェやオラン、モロッコのカサブランカなどに置かれた現地の茶商の住所であることがわかってきました。当時は、これらの港町の商館がアフリカや西アジアへの緑茶販売網の扇の要となっていました。また、フェルケール博物館で収蔵する戦後の蘭字には未製品が多く含まれており、資料中にある北アフリカから静岡に送られた封筒の中には、当時のアフリカや西アジアで流行っていた風俗や社会状況を反映したデザインの蘭字見本が入っていました。静岡ではこれらの指示書に合わせて蘭字を制作し、茶箱に貼付して輸出していました。戦後の商業ラベルは当時の流通状況まで知ることのできる貴重な資料となっています。なお、当時の茶輸出関係者に聞くと、昭和40年代前半まで茶箱に貼るラベルのことを「蘭字」と読んでいたそうです。
 蘭字のデザインや印刷技術は缶詰ラベルとも影響しあい、静岡の商業ラベルの一時代を築いてきました。

    
   蘭字「ムーラン・ルージュ」   「ムーラン・ルージュ」の裏に書かれた住所は、オラン港近郊の商館だった。

    

    蘭字「ANTAR」                  アフリカから郵送された「ANTAR」の指示書(下書き)

フェルケール博物館の情報はこちら




at 10時45分

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