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学芸員のつぶやき ver.2 vol.4 横浜みなと博物館・帆船日本丸
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  • 総帆展帆(そうはんてんぱん)の帆船日本丸 2026年4月19日撮影

    総帆展帆(そうはんてんぱん)の帆船日本丸 2026年4月19日撮影

 これまで全会員館からご協力のもと好評いただいていた「学芸員のつぶやき」をver.2として、各館の学芸員、ご担当者の方々のお話をお届けします。ver.2 第4回「学芸員のつぶやき」は横浜みなと博物館・帆船日本丸 工藤 路江さんです。


 私は2026年9月1日に帆船日本丸記念財団に横浜みなと博物館の学芸員として入職し、新入職員研修の際に「帆船日本丸」(国指定重要文化財)の内部を一等航海士の解説を聞きながら見学しました。日本丸は1930(昭和5)年に建造された船員養成のための国の練習帆船で、引退する1984(昭和59)年までの54年間に、約11,500人の船員を育てました。終戦直後は中国、シンガポールなどから一般邦人や旧軍人を日本へ輸送、その往路で韓国や台湾へ送還者の輸送に従事し、1949(昭和24)年9月までの輸送者数は約25,000人にのぼりました。1953(昭和28)年に太平洋諸島の遺骨収集航海に従事、同年6月には戦後初の遠洋航海に出帆します。その後は練習船としての役割を担いつつ、1960(昭和35)年、日米修好通商百年祭に参加しロサンゼルス、ニューヨークなどで現地交流するなど、国際親善においても活躍しました。船体老朽化にともない練習帆船代替建造の作業が始まった1978(昭和53)年以降の誘致活動を受けて、1984(昭和59)年に横浜市に移管され、翌年旧横浜船渠第一号ドック(国指定重要文化財)に係留保存・一般公開されました。

 

日本丸のそのような歴史について、入職前にある程度予習はしていたつもりでしたが、実際に目にする歴史的帆船の迫力・趣は想像以上のものでした。マストの高さやバウスプリットの長さ、舵輪の大きさに圧倒され、実習生室や船長室、階段、リベット工法で接合された鋼板などは、当時の工法やデザイン性を窺い知ることができます。見学を進める中で、財団の一職員として「この貴重な船を後世に残す」という使命感・責任感のようなものが徐々に強くなるのを感じました。

 

日本の海運を支え戦後処理にも従事した船としての来歴、船体の建造に注がれた当時の最先端設備の良好な保存状態。それに加え、日本丸の価値をより高めるものとして「附(つけたり)資料」の存在があります。航海日誌、機関長日誌などの日誌類、建造時の図面、船体・機関の来歴簿といった、文書記録類・図面類(計532点)は「重要文化財帆船日本丸附資料」として指定され、横浜みなと博物館で保管と整理を行っています。これらの資料については、デジタルデータの公開が順次進められており、現在は博物館併設のライブラリーで戦時中の航海日誌のデータを公開(有料)しています。今後、こうした附資料の整理作業に携わるのも楽しみです。

 

入職したばかりで猛勉強の日々ですが、帆船日本丸の見学を通して、仕事への意欲がさらに高まりました。

ネットワーク・フォーラムの皆様、何卒よろしくお願い申し上げます。



 

横浜みなと博物館

工藤 路江

泡
灯台

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