

第36回「学芸員のつぶやき」は、東京海洋大学 明治丸海事ミュージアムの森山祐吉さんです。
東京海洋大学「明治丸海事ミュージアム」は、本学の越中島キャンパスにあるミュージアムで、国の重要文化財に指定されている「明治丸」、「百周年記念資料館」及び「明治丸記念館」等で構成されています。
越中島キャンパスには、国の有形文化財に登録されている古い建物や、江東区の有形文化財に登録されている石碑などがいくつもあります。その中でも一番の目玉、1978年に国の重要文化財に指定された「明治丸」が保存・展示がされています。
元々は、明治政府が英国の造船所に灯台巡回船として発注、1874年に完成したもので、2024年には150年を迎えた、大変古い船です。本学では、海洋工学部の前身のひとつ、「商船学校」の練習船として使われ、1945年までに5,000余名もの学生を送り出しました。見学をしていただくとお気づきになると思いますが、数多くの箇所が手の込んだ装飾で彩られ、調度品などを含めて、とても豪華な仕様になっています。これは建造時から「皇族」や「政府高官」などが乗船されることを前提にしたロイヤルシップ(皇室用ヨット)としての性格も持っていたからです。
実際に「明治天皇」の東北・北海道巡幸に際し、「明治丸」に乗船され、青森から函館を経由して、1876年7月20日横浜に安着されました。乗船中は、「御座所」という公室、寝室、浴室の3室続きのお部屋で過ごされ、公室、寝室には、植物などが描かれた多くの板絵が飾られています。見学の際は、ガラス戸を通してご覧いただくことになりますが、船内には昭和初期及び現在の写真を展示しています。どこが同じで、どこが違うのか、見比べてみてください。(たぶん、違和感を感じる箇所が…)
ちなみに、この巡幸で横浜に安着された7月20日は、1941年には「海の記念日」に、1966年からは祝日「海の日」となりました。(現在は7月の第三月曜日)これも「明治丸」が果たした功績が、現在に繋がっているものです。
最近では、レアメタルの存在で話題になっている南鳥島ですが、この島が属する小笠原諸島にも「明治丸」が関係していました。現在は東京都に属する小笠原諸島ですが、明治時代初期には領有問題が発生していました。
ときの明治政府は小笠原諸島を日本が所轄、日本の領土とする!との方針を決め、1876年に調査団を派遣しました。この時、調査団を乗せ、小笠原諸島に向かったのは「明治丸」でした。
実は、この明治丸の後を追って英国の軍艦カーリュー号も小笠原に向かいましたが、明治丸の方が2日早く着きました。新造船で船足の早い船であったことが、功を奏したというところです。様々な調査が行われ、数か国から所有権の主張がありましたが、その後、円満に領有権問題が決着しました。我が国が広大な排他的経済水域(EEZ)を持つに至ったのは、小笠原諸島が日本に属するようになったことが、大きな要因になっています。
「明治丸」は、150年の歴史の中で、数多くの困難を乗り越えてきましたが、特に「関東大震災」や「東京大空襲」の際には、地域住民の一時避難所としての役目を果たし、このことが地域に根差したシンボリックな存在としています。
「明治丸」のほかにも、学生が実習に使ったエンジンやレーダーなどがない時代の航海を安全に行うために用いた機器などを展示している「百周年記念資料館」、「明治丸」の歴史、功績についてパネル展示を行っている「明治丸記念館」もあります。
まだまだ紹介しきれないことが多くありますが、一般公開(無料!)を行っており、ガイド付きでご見学いただけますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。
(開館日についてはHP等でご確認ください。)
東京海洋大学
明治丸海事ミュージアム事務室
森山 祐吉

