

第27回「学芸員のつぶやき」は道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAかじきミュージアム)の鈴木紋子さんです。
「ハーバー&カジキミュージアム」は静岡県下田市の下田港の目の前にある4階建ての道の駅の最上階にあるとても眺めの良いミュージアムです。
下田の街が出来るまでの成り立ちを時系列に展示し、それぞれの時代に活躍した船舶や当時の下田町を復元模型で紹介しています。
目の前にある下田港は幕末の時代にペリー艦隊が入港し開国の舞台となりましたが、それより以前の近世の時代には「風待ち港」としての機能を果たしていました。そして木材・炭・伊豆石など地場の産業が活気を呈した時期でもあります。
今回はそんな下田の街が海上交通の中継地となり東西から文化を享受し、華やかな時代を築いた近世の時代をハーバー&カジキミュージアムの展示品とあわせてご紹介させていただきます。
◆海道の関所となった近世の下田
下田町の原型は江戸時代に築かれ、現在も町名などにその名残をとどめています。
江戸時代の下田は箱根と並ぶ海道の関所として、船改番所が設置されて浦賀(神奈川県)に移されるまでの100年あまりを港町として繁栄の時代を迎えます。
江戸時代においては江戸と大坂を結ぶ大量輸送は海上交通が主流で、菱垣廻船など多くの商船が往来しました。「出船入船三千艘」と言われる繁栄の時代であり「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」とも唄われました。
全ての廻船は下田に入港し舟改番所で検問を受けました。検問を終えた船は出航出来る日和を待って停泊し、船頭や水夫達は上陸して買い物をしたり海上生活の疲れを癒したりしました。
諸国の廻船の乗組員を停める船宿も数多く営まれ、造船や修理にあたる船大工が職人の中で最も多かったのもこの時代の下田の特色です。漁船や伝馬船、漁師や商人など船や人や物が賑やかに行きかい活気ある港町の姿を見せていました。
碁盤の目のように東西南北に区画された下田の町並みの原型は近世の初めに造られたと考えられ、第二代下田奉行今村伝四郎はこの町を風波から守る「武ヶ浜波除け」を築き安全な町並みが形成されました。全ての廻船の寄港による収入が町の発展をもたらし最も安定した時代を迎えました。
◆『下田年中行事』全87巻
当時の下田町奉行平井平次郎が完成させた「下田年中行事全87巻」
風待ち港に生きる人々の暮らしを詳細に伝えるものです。
道の駅開国下田みなと指定管理者
下田市観光協会道の駅管理係
鈴木紋子

