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学芸員のつぶやき NO.4 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 田村隆文
ミュージロー
2023/08/10
三角旗
  • 青森港に入港するMSCベリッシュ

    青森港に入港するMSCベリッシュ

  • 間もなく還暦を迎える八甲田丸船体

    間もなく還暦を迎える八甲田丸船体

 第4回「学芸員のつぶやき」は青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の田村隆文さんです。


2024年は八甲田丸が60歳の還暦を迎え、2025年は「みなとまち・あおもり誕生400年」の節目の年となることから、青森港のあゆみと八甲田丸について少しご紹介します。

青森港は、北緯40度49分、東経140度45分の本州最北端、陸奥湾の最深部に位置し、古くから本州と北海道を結ぶ物資・旅客輸送として大きな役割を果たしてきた重要な港湾です。遡ること1625年(寛永2年)に、弘前藩が江戸藩邸で消費する米を廻漕するため、江戸幕府から廻船運航の許可を得たことで、正式に青森港が開港しました。江戸時代、青森は、日本海海運や太平洋海運などの全国海運に結びつく重要な湊であり、全国各地の廻船が多く出入りし、「港町青森」は繁栄を遂げました。

1908年(明治41年)には、国鉄による青函連絡船の運航が始まりました。大正期に入って貨車輸送も開始されると、青森港は青函経済圏の中心として発展しました。青函連絡船は、80年にわたり、本州と北海道を結ぶ幹線交通として青森市の発展に貢献しましたが、1988年3月13日青函トンネル開通に伴い終焉を迎えることになりました。

80年もの間活躍した歴代の青函連絡船55隻のなかでも1964年に就航した八甲田丸は就航期間が最も長く活躍した貴重な保存船と言えます。船体の資料的価値は勿論ですが、それに付随する模型や出版物など海峡をつなぎ人々や往来を支え続けた鉄道連絡船の歩みを物語るものとして、「近代化産業遺産」に認定され、さらには「青函連絡船と可動橋」が機械遺産第44号に認定されるなど、その資料的価値が高まりつつあります。

このことから来年・再来年と再び八甲田丸の保存についての機運が高まるようなイベントを仕掛けていかなければならないと日々悩んでおります。


青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 田村隆文



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