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「タイタニック日本人生存者の手記」 横浜みなと博物館
ミュージロー
2012/04/16
三角旗

横浜みなと博物館の志澤です。

春になり、横浜港には外国客船が来航しています。先々週の日曜日には、大さん橋にシープリンセスと飛鳥Ⅱ、山下ふ頭ににっぽん丸と3隻が同時に並びました。穏やかな晴天ということもあり、港周辺は外国人船客も含め多くの人の姿がありました。
さて、今年の4月15日は、当時世界最大のイギリス客船タイタニックが、処女航海中に北大西洋で氷山に衝突し、沈没してから100年になります。乗客乗員約2,200人中その7割に当たる約1,500人の犠牲者を出しました。「沈まない船」と宣伝されていた豪華客船の事故は、世界に大きな衝撃を与えました。
この海難事故は、船体構造のほか、最大搭載人員の約半数分の救命艇しか設置していなかったことやタイタニックからの遭難信号(SOS)の聴守が遅れたことなど、様々な問題が指摘されました。そして、船の安全確保についての機運が高まり、国際的な取り決めである、「1914年の海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS,1914)」が採択されことになりました。タイタニックの悲劇は、船舶の安全性確保に国際的に取り組む大きな契機になりました。
ところで、救助されたなかに日本人が一人いました。鉄道院副参事の細野(ほその)正文(まさぶみ)です。細野は1910(明治43)年にロシアのサンクトペテルブルグに鉄道事業研究のため留学し、その帰国の途上、イギリスのサウサンプトンからニューヨーク行きのタイタニックに二等船客として乗船し、事故に遭遇しました。細野は救助された客船カルパチアの船内で、偶然上着に入っていたタイタニック備え付けの便箋に、この出来事をしたためました。氷山衝突後の混乱、ボートから見た沈没していくタイタニック、救助後ニューヨークまでの航海中の様子などが、便箋の表裏に克明に記されています。
近年、タイタニックの資料が一部引き上げられるようになり、展示室や博物館がつくられています。しかし、現存するタイタニックの資料は非常に少なく、船会社ホワイト・スター・ラインのマークとタイタニックの船名が印刷され、さらに会社名の透かしの入ったこの便箋は、世界的に貴重なタイタニックの一級資料といえます。
2005(平成17)年、この便箋は所蔵者である細野正文氏のご子孫から当館に寄託されました。このたび、タイタニック沈没100年に合わせて、4月14日(土)から5月6日(日)まで、この便箋を特別公開することにいたしました。今回の展示が、この史上稀にみる大海難事故について、改めて考える機会になればと思っています。是非、ご高覧下さい。
なお、音楽家の細野晴臣氏は細野正文氏のお孫さんに当ります。

泡
灯台

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