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新着資料の紹介コーナー 第17回「みくに龍翔館」
ミュージロー
2015/11/16
福井県
三角旗
  • 内田惣右衛門

    内田惣右衛門

  • 内田家文書

    内田家文書

今回新着資料として紹介するのは、みくに龍翔館の「内田家文書~三国湊の豪商の家に伝わった古文書 約7,000点~」です。


 三国湊は、北前船の寄港地としてたいへん栄えていました。福井藩主の松平家も、越前の経済拠点として三国を重要視していました。中でも、江戸時代後期から明治時代にかけて、三国湊の歴史とともに歩んだ豪商が、内田家です。
 三国湊の内田家は、元禄16年(1703)、福井から三国に分家し、惣右衛門を祖として始まりました。廻船業にも進出し、19世紀前半には飛躍的な発展を遂げた三国内田家は、巨額の御用金を納めるなど、福井藩の経済を大きく支え続けました。藩も、苗字帯刀を許し、知行300石を与えるなど、内田家の功績に報いています。
 さて、この度、みくに龍翔館に内田家から7,000点にも及ぶ古文書の寄託がありました。内田家の系譜、生業、福井藩との関わり、そして、代々内田家当主がたしなんできた和歌の世界など、内田家の様々な側面がうかがえる貴重な資料群となっています。三国湊の豪商 内田家の歴史に、今一度、触れてみてはいかがでしょうか。



内田惣右衛門 1787~1835

三国内田家を大きく発展させ、天保の飢饉の折、救恤策をとったことでも知られる。庸(もちう)の名で和歌をたしなむ文化人でもあった。


内田家文書

内田家に伝わった約7,000点の古文書。時代は、三国内田家が興った江戸中期から昭和に至る。

泡
灯台

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