今回新着資料として紹介するのは、道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の「近世下田港復元模型」と「下田年中行事全87巻」です。
ハーバーミュージアムでは下田の街が出来るまで、そしてその歴史を復元模型や貴重な資料で紹介しています。
今回は風待ち港として栄えた下田の近世の時代をご紹介します。
「近世下田港復元模型」
下田町の原型は江戸時代に築かれ、現在も町名などにその名残をとどめています。
江戸時代の下田は箱根と並ぶ海道の関所として繁栄の時代を迎えました。
そのにぎわいは今日では想像もつかないほどでした。
この模型は元禄6年1693年前後の下田の河口周辺を再現した模型です。
この時代、下田が江戸を守る海の関所となり、上り下りの全ての船は下田に入港し、舟改番所で検問を受けました。
検問を終えた舟は出港出来る日を待って港内に停泊。船頭や政府達は上陸して買い物をしたり、海上生活の疲れを癒しました。
諸国の乗組員を停める船宿も数多く営まれ、家大工や桶屋などの職人の中で、造船の修理にあたる船大工が最も多かったのもその時代の下田の特徴です。
船や人や物がにぎやかに行き交い、活気ある港町の姿を見せていました。
「下田年中行事全87巻」
第2代下田奉行今村伝四郎の時代、町を風や波から守る武ガ浜波徐が築かれ安全な街並みが形成されました。
海上交通の中継地下田には、往来する船と共に東西の文化が流入し、その刺激を受け中根東里・石井縄斎・篠田雲鳳などの文化人が生まれました。街の書き役に就任した平井平次郎は、
天保14年「下田年中行事」全87巻を完成させました。
支配や略史、寺院縁起、日常の生活・不時の災禍など膨大な資料が収録され、風待港に生きる人々の暮らしをいきいきと伝えています。