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「今月の逸品ver.2」 vol.4フェルケール博物館の「蒔絵のお椀」
ミュージロー
2017/08/01
静岡県
三角旗
  • 船曳図金平蒔絵椀

    船曳図金平蒔絵椀

  • 蓋(表)   蓋(裏)

    蓋(表)   蓋(裏)

「今月の逸品ver.2」第4回目は、フェルケール博物館の「蒔絵のお椀」です。

  このお椀は正式に名称をつければ「舟曳図金平蒔絵椀(ふなひきずきんひらまきえわん)」と呼ぶことになるでしょうか。江戸時代の清水湊の廻船問屋・三保屋で使われていたもので、10客が1セットとなり、木箱に大切に納められていました。
  お椀には黒漆を何度も塗って下地とし、椀の蓋に金泥で絵を描いています。絵では笠をかぶり、蓑を付けた3人が綱を引いています。しかし、綱は蓋の右外へと延びているため、その先はわかりません。ところが、蓋を開けて裏返すと、今度は左から綱が延びて右に見える小舟の舳先に結び付けられています。全体をとおして考えると「3人の人が小舟を曳いている図」といえるでしょう。
  江戸時代の清水湊は清水湾に流れ込む巴川の河口をやや遡った岸に築かれた川港でした。この清水湊の対岸には、“ 甲州廻米置場 ”があり、甲斐国から富士川を下って運ばれた年貢米が蔵へと納入されました。一方で、空荷となった船には塩や生活物資を積み込み、富士川河口部から71km上流の鰍沢まで4~5日かけて綱を引いて舟を川上げしたと伝えられます。
 当時の廻船問屋は湊に着く船の船主と荷物の買取りの交渉をしましたが、その交渉がまとまるまで船主は廻船問屋に寝泊まりしていたといいます。つまり、廻船問屋は高級旅館の役目も果たしていました。金蒔絵の高級な椀が伝わっていた理由も納得できます。また、「富士川舟曳図」も清水湊に滞在する船主への“ おもてなし ”のひとつだったのでしょう。

泡
灯台

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