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「今月の逸品ver.2」 vol.19 瀬戸内海歴史民俗資料館(香川県立ミュージアム分館) の「写真『終戦後、港組による飛行機引き揚げの様子』」
ミュージロー
2018/12/07
三角旗

「今月の逸品ver.2」第19回目は、瀬戸内海歴史民俗資料館(香川県立ミュージアム分館) の「写真『終戦後、港組による飛行機引き揚げの様子』」です。


 この写真は、昭和22年香川県多度津町で創設された「港組」の活動の様子をとらえた一枚である。港組は多度津港における荷役や瀬戸内海主要航路の掃海作業を行っていた企業である。
 終戦後、多度津港には、進駐軍の指令により善通寺師団などの旧軍施設にあった銃弾や砲弾が海中投機された。また、瀬戸内海には戦時中、米軍や日本海軍により多くの機雷が設置されたままとなっており、汽船が機雷に触れ沈没する事件がしばしば起こっていた。終戦から数年が経過した多度津港では、貨物船が出入港するようになり海中投棄されていた弾薬や機雷などを引き揚げる必要があった。
 港組の活動範囲は多度津港に限らず香川県西部海域にまで及び、海中に沈んでいる弾薬や船舶、飛行機など多種多様なものを引き揚げた。
 写真は、海中より引き揚げられた直後の、巨大な尾翼を陸上に露にした様子を写している。付随資料の「港組略歴書」によると昭和25年に海軍飛行隊が置かれた三豊郡詫間町(現:三豊市詫間町)の近海において掃海作業を行い、旧海軍軍用飛行機の残骸を引き揚げたと記されている。おそらくその際に撮られた写真かと思われる。
 終戦後70数年が経過し、終戦直後の実態を調べることが困難になりつつある中、本資料は多度津港や香川県中西部海域における戦争の爪痕が色濃く残っていた様子を示す極めて重要な資料と言える。
                      (瀬戸内海歴史民俗資料館 主任専門職員 芳澤直起)

泡
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