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みなとミュージローブログ

2019年04月03日

「今月の逸品ver.2」 vol.23 あおもり北のまほろば歴史館 の「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」

「今月の逸品ver.2」第23回目は、あおもり北のまほろば歴史館 の「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」です。

・あおもり北のまほろば歴史館に収蔵展示されている木造漁船67隻は、平成9年に「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」として国の重要有形民俗文化財の指定を受けています。これは旧みちのく北方漁船博物館が平成6年頃から北日本地域(青森県全域、秋田県・岩手県の北部、北海道の南部)の海岸を実際に歩きまわり、収集したものです。
・このコレクションは、ムダマハギ型漁船が使われている地域から、丸木船を含めてすべての種類のムダマハギ型漁船とムダマハギ型から直接発達したシマイハギ型漁船を集めているため、木造漁船の進化する様子が良く分かるのが特徴です。 
・東北地方北部から北海道にかけての地域では、船底を丸木船を浅くしたような材料で作った船が使われています。この材料はムダマと呼ばれ、ムダマを使った船をムダマハギといいます。ハギとは材料を接ぎ合わせて船を造ることで、ムダマハギとはムダマを使って造船した船という意味です。このムダマハギは、丸木船から板合わせの船(シマイハギ)に変化する途中の船で、船の歴史を知るために重要といわれています。
・そのほとんどは、漁師が1~2人乗り、岸から近くの岩磯で船の上から海底をのぞき、アワビやウニ、ワカメやコンブなどをとるのに使った船です。

 

あおもり北のまほろば歴史館の情報はこちら


at 13時50分

2019年03月12日

「今月の逸品ver.2」 vol.22 口之津歴史民俗資料館 の「口之津灯台の初代レンズ ~灯台に見る近代世界の発展~」


「今月の逸品ver.2」第22回目は、口之津歴史民俗資料館 の「口之津灯台の初代レンズ ~灯台に見る近代世界の発展~」です。

 江戸時代の航路標識は「燈明台」や「常夜灯」と呼ばれる建造物に、松明や篝火を灯すというものでした。
 明治維新後、日本は欧米の文化や技術を積極的に取り入れました。口之津灯台もその一つで、フランスの技術者オーギュスタン・ジャン・フレネルによって開発された「フレネルレンズ」が大きな特徴です。
 1800年代初頭、ニュートンの「光の分子説」によって迷走していた西洋光学は、フレネルが提唱した「光の波動説」を邪道として、最初は排除していました。そこでフレネルは、フランスで最も歴史のあるコルドゥアン灯台のレンズを製作し、その公開実験をパリの凱旋門でおこない「光の波動説」を実証しました。それでも、フレネルの理論を形にする技術が伴っておらず、完全なフレネルレンズは1854年にようやく完成を見ます。実にフレネルの死後27年を要しました。
 当初フレネルレンズの製作は、フランスが独占していましたが、イギリスのチャンス・ブラザーズ社も徐々に技術力を高め、世界市場に参入するようになりました。このチャンス・ブラザーズ社は、当時のイギリスを代表するガラスメーカーで、1851年のロンドン万博では、メインパビリオンとなる「クリスタルパレス(水晶宮)」を手掛けました。さらに、ビッグベンの時計盤の乳白ガラスや、アメリカのホワイトハウスの装飾ガラスの製作にも携わっています。また、地中海の入口であるジブラルタル海峡のエウローパ岬に立つ灯台は、戦略的要地であるため、イギリスのトリニティ・ハウス(イギリス水先案内協会)が管理していました。1864年、この灯台が改修された際、そのレンズの入札で、当初フランスのメーカーが落札しましたが、イギリス海軍フレデリック・アロー軍師の「この灯台は、他のいかなる灯台よりも多くの、しかもあらゆる国籍の人の目にとまる。1週間のうちにここを通過する船の数は、他の灯台の数年分の統計における1週間より多い。そのような灯台のレンズは、ぜひともイギリス国産であるべきだ」という意見によって、トリニティ・ハウスはやむなく入札契約を撤回し、チャンス・ブラザーズ社にレンズの製造を依頼したという逸話も残っています。
 口之津灯台の初代フレネルレンズは、このチャンス・ブラザーズ社で1877年に製作されたレンズであることが、その銘鈑に刻まれています。口之津という地方の灯台を紐解くと、日本の歴史、さらには世界の歴史ともつながっていることがよく分かると思います。

※口之津灯台は2019年3月26日にLED灯器に変更され、139年間使用されたフレネルレンズは、その役目を終えました。

 

 
 

 

口之津歴史民俗資料館の情報はこちら

at 13時59分

2019年02月06日

「今月の逸品ver.2」 vol.21 新上五島町鯨賓館ミュージアム の「魚目浦絵図(新上五島町指定文化財)」

「今月の逸品ver.2」第21回目は、新上五島町鯨賓館ミュージアム の「魚目浦絵図(新上五島町指定文化財)」です。


 17世紀後半、当時の魚目村と有川村の間で、有川湾での漁業に関わる海境論争が起こりました。この絵図は魚目村側が江戸の評定所に資料として提出するために、貞享5年(1688)長崎の絵師、溝口七郎兵衛によって描かれた絵図2枚のうちの控えです。この控えは、もともと五島富江家に伝わっていましたが、昭和8年(1933)、似首の事代主神社の火災で原本が焼失したために、神社再建の折、同家から贈られたもので、現在、鯨賓館ミュージアムにて所蔵しています。昨年、修復作業を実施し、常設展示しています。
 この絵図には、当時の主要な漁場、地名の由来、歴史、神社など詳細に記されており、新上五島町の江戸時代初期に描かれた数少ない絵図の一つで、大変貴重な資料です。


   

                      展示の様子


                                    

                        魚目浦絵図


新上五島町鯨賓館ミュージアムの情報はこちら

at 10時25分

2019年01月08日

「今月の逸品ver.2」 vol.20 関門海峡ミュージアム の「海峡レトロ通り」


「今月の逸品ver.2」第20回目は、関門海峡ミュージアム の「海峡レトロ通り」です。

ここは、関門海峡ミュージアムで一番人気のある『海峡レトロ通り』です。
でも、このゾーンはあまりPRしたくないんです。というのも、ここは無料ゾーンで、しかも見ごたえがあり、面白い仕掛けがある空間なので、ここで満足されて有料の展示ゾーンに入らないでお帰りになるお客様も少なくないからです。
でも、今回は特別に人気の『海峡レトロ通り』の仕掛けや見どころを『今月の逸品』として紹介しましょう。

【大正ロマンあふれる街並みへタイムスリップできる『海峡レトロ通り』】
明治から大正、昭和にかけ、大陸貿易の拠点として栄えてきた門司港。街の中には、銀行、商社、貿易会社などのモダンな西洋建築が建ち並び、映画館、カフェなど流行の先端をゆく文化や娯楽も伝わって、街は活気に満ちていました。
そんな異国情緒あふれる街並みを再現したのが『海峡レトロ通り』です。
古き良き時代へタイムスリップしたかのように、なつかしい気分に浸ってください。


    

逸品① ~朝、昼、晩と表情を変える街並み~
照明と音がコンピューター制御により、20分間の間に朝・昼・晩と街の表情を変化させて行きます。夜になると、外灯や窓に電気が灯り、朝になると小鳥がさえずります。そして、お昼になるとバナナの叩き売りの始まりです。それぞれの街の表情をお楽しみください。

 

逸品② ~実は半分しかない路面電車~
路面電車は1911年の開通以来、長年に渡り門司市民、北九州市民の足となり親しまれてきました。この路面電車は、明治・大正時代の写真資料を参考にしながら、可能な限りの復元を行っています、でも、よーく見てください。長さが半分しかないんです。一見、ちゃんとした電車に見えますが、半分の所の壁面を鏡張りにして、普通の大きさの電車に見せているんです。
電車の中では、当時の門司の情景を捉えた写真や映像などを紹介するコーナーもあります。

  

【お知らせ】
関門海峡ミュージアムは、展示ゾーンのリニューアル工事の為、2019年秋頃まで休館しております。リニューアルオープンの際には、展示が一新され、魅力アップした展示ゾーンおよびこの海峡レトロ通りでお楽しみください。

関門海峡ミュージアムの情報はこちら




at 11時16分

2018年11月07日

「今月の逸品ver.2」 vol.18 神戸大学 海事博物館 の「和船模型(八幡丸)」

「今月の逸品ver.2」第18回目は、神戸大学 海事博物館 の「和船模型(八幡丸)」です。


和船の活躍した時代

 江戸時代のおもな沿海航路は3つありました。
北海道(松前)から日本海、瀬戸内海を経て大坂(上方、浪速)にいたる西回り航路、北海道・津軽海峡から太平洋側を江戸に至る東回り航路、大坂―江戸間の(南海航路)です。
西回り航路は、江戸後期までに、沿海の海上輸送航路として発達したルートです。大正時代の初期まで、東回り航路とともに、日本の物流を支えていました。廻船は目的地への輸送で荷物運賃を稼ぐだけではなく、各寄港地で品物を売買しながら利益をあげていました。
 「北前船」は言うなれば海上移動する商店(商社)であって、船頭の才覚しだいで、巨万の富を稼いだ船主も多かったようです。
 北陸方面では現在でも「北前船」に従事した船のことを、“バイ船” と呼びます。バイ船のバイは売、あるいは倍(バイ)儲かるから、という説もあるようです。
 その後、近代の蒸気船や洋式帆船の出現によって、徐々に衰退し、昭和初期には「北前船」の和船はほとんど姿を消してしまいました。


和船模型(八幡丸)
 木製/模型/全長2.7m/製作地等:石川県榊社奉裾/製作年明治初期頃
「北前船」として知られる大型和船として括躍したのは、弁財船(菱垣廻船・樽廻船をふくむ)、北国船などさまざまです。そのため船型も、年代や地域により、細部に違いがあります。
この模型は、腰当梁のところで船幅が最も広くなっており、明治以降の北前船のようにアカマ梁で最大にはなっていません。江戸末期から明治初年にかけての、大型和船の詳細を示しており、明治維新前後の製作と推測されます。
 帆装等は後に取り換えられたと思われますが、よく補修されていて、破損箇所は余りありません。両側の蛇腹をはじめ船内の艤装もよく残っていて、保存は良好です。
 廻船の寄港地で、船乗りの多かった石川県・美川漁港(本吉湊:白山市)の、今湊神社(八幡宮、江戸代中期の社殿が残る)に奉納されていました。


 


神戸大学海事博物館の情報はこちら

at 15時01分

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