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みなとミュージローブログ

2018年11月07日

「今月の逸品ver.2」 vol.18 神戸大学 海事博物館 の「和船模型(八幡丸)」

「今月の逸品ver.2」第18回目は、神戸大学 海事博物館 の「和船模型(八幡丸)」です。


和船の活躍した時代

 江戸時代のおもな沿海航路は3つありました。
北海道(松前)から日本海、瀬戸内海を経て大坂(上方、浪速)にいたる西回り航路、北海道・津軽海峡から太平洋側を江戸に至る東回り航路、大坂―江戸間の(南海航路)です。
西回り航路は、江戸後期までに、沿海の海上輸送航路として発達したルートです。大正時代の初期まで、東回り航路とともに、日本の物流を支えていました。廻船は目的地への輸送で荷物運賃を稼ぐだけではなく、各寄港地で品物を売買しながら利益をあげていました。
 「北前船」は言うなれば海上移動する商店(商社)であって、船頭の才覚しだいで、巨万の富を稼いだ船主も多かったようです。
 北陸方面では現在でも「北前船」に従事した船のことを、“バイ船” と呼びます。バイ船のバイは売、あるいは倍(バイ)儲かるから、という説もあるようです。
 その後、近代の蒸気船や洋式帆船の出現によって、徐々に衰退し、昭和初期には「北前船」の和船はほとんど姿を消してしまいました。


和船模型(八幡丸)
 木製/模型/全長2.7m/製作地等:石川県榊社奉裾/製作年明治初期頃
「北前船」として知られる大型和船として括躍したのは、弁財船(菱垣廻船・樽廻船をふくむ)、北国船などさまざまです。そのため船型も、年代や地域により、細部に違いがあります。
この模型は、腰当梁のところで船幅が最も広くなっており、明治以降の北前船のようにアカマ梁で最大にはなっていません。江戸末期から明治初年にかけての、大型和船の詳細を示しており、明治維新前後の製作と推測されます。
 帆装等は後に取り換えられたと思われますが、よく補修されていて、破損箇所は余りありません。両側の蛇腹をはじめ船内の艤装もよく残っていて、保存は良好です。
 廻船の寄港地で、船乗りの多かった石川県・美川漁港(本吉湊:白山市)の、今湊神社(八幡宮、江戸代中期の社殿が残る)に奉納されていました。


 


神戸大学海事博物館の情報はこちら

at 15時01分

2018年10月02日

「今月の逸品ver.2」 vol.17 四日市港ポートビル14階展望展示室「うみてらす14」の「地上90mからの夜景」

「今月の逸品ver.2」第17回目は、四日市港ポートビル14階展望展示室「うみてらす14」の「地上90mからの夜景」です。

四日市港ポートビル14階展望展示室「うみてらす14」では、地上90mの高さから360度に広がる夜景をご覧いただけます。
ポートビルの南西方向にはコンビナートが広がっており、「うみてらす14」からはその高さを生かした非常に奥行き感のある、全国でも屈指の工場夜景を観賞することができます。   
2015年7月には四日市港ポートビルが日本夜景遺産「施設型夜景遺産部門」に認定され、また他方で、カメラ撮影の際の室内の映り込みを防止する暗幕の無料貸出し(限定5枚)や開館時間の変更(土日祝日は夜9時まで開館)等、サービスの向上にも取り組んでいます。その甲斐もあり、近年「うみてらす14」の入場者が増加しており、平成29年度には過去3番目に多い50,090人を記録しました。入場者は三重県内だけでなく隣の愛知県や岐阜県、さらには大阪府などの遠方からも多くお越しいただいており、「うみてらす14」からの夜景は、まさに「逸品」といえます。
工業港として発展してきた四日市港が創り出す幻想的な夜景を見に、ぜひ四日市港ポートビル展望展示室「うみてらす14」へお越しください。


   

  

  


四日市港ポートビル14階展望展示室「うみてらす14」の情報はこちら

at 11時09分

2018年09月03日

「今月の逸品ver.2」 vol.16 道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の「伊豆の古代製鉄の模型と伊豆半島の生い立ち」

「今月の逸品ver.2」第16回目は道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の「伊豆の古代製鉄の模型と伊豆半島の生い立ち」です。


 開国の街として知られる下田の街ですが、開国の歴史のはるか昔の原始・古代の時代より下田の歴史を紹介している「ハーバー&カジキミュージアム」
 本年、世界ジオパーク認定された伊豆半島。その伊豆半島が形成された時代のコーナーを紹介させて頂きます。

「下田市金山遺跡の模型」
平安時代末から鎌倉時代にかけて南伊豆や東伊豆などの地域では、海浜の砂鉄を原料として鉄の生産が行なわれていました。
当館では伊豆半島内で発掘された製鉄遺跡を参考に、県内でも珍しい古代製鉄の様子を模型で再現しております。
「炉」と呼ばれる粘土で出来た入れ物の中に、砂鉄と木炭を交互に入れながら燃焼させます。
砂鉄を溶かすには温度を1500度前後まで高めなければなりませんので、模型のような足踏みの「ふいご」と呼ばれるものを使って炉の中に風を送り、丸3日間かけて作っていたそうです。
現在の下田の地名にも「多々土」「金草原」など製鉄を思わせる名前が残っており、伊勢神宮に毎年鍬を納めていたという記録も残っているそうです。
「炉」は鉄を一度取り出す度にその都度壊していました。手前にあるケースの展示は炉壁の一部、手前の鉄滓は実際に発掘されたものです。

「伊豆半島の生い立ちのミラービジョン」
伊豆半島がフィリピンプレートにのって日本列島にぶつかり、現在の伊豆半島の原型が出来るまでの様子をCG映像で展示しています。

  

                      下田市金山遺跡の模型


  

                   伊豆半島の生い立ちのミラービジョン

道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の情報はこちら




at 13時37分

2018年08月07日

「今月の逸品ver.2」 vol.15 みくに龍翔館の「遊女の打掛」

「今月の逸品ver.2」第15回目はみくに龍翔館の「遊女の打掛」です。

 今回は、江戸天明期(1781~89)の縫屋藤七が制作したと伝えられる三国湊の遊女の打掛です。キバに象牙、目にギヤマン(ガラス)、金糸銀糸を使った迫力ある構図で、二匹の龍の刺繍がほどこされています。
 三国湊は、江戸時代から明治時代にかけて北前船の寄港地として繁栄しました。九頭竜川の河口に発達した三国湊にはかつて遊郭があり、湊の拡大に伴って町の端から端へとその場所を移していきました。地元に伝わる民謡「三国節」には、 酒は酒屋で 濃茶は茶屋で 三国小女郎は松ケ下 という一節があり、江戸時代初期、三国湊の町端にあった松ケ下遊郭が唄いこまれています。また、三国遊郭を舞台とした三国小女郎の物語は、近松門左衛門の「けいせい仏の原」をはじめとした芝居などにもとりあげられました。
 三国湊に隣接する滝谷出村にも遊郭があり、『続近世畸人伝』に加賀の千代女とともに紹介された哥川がいました。教養が高く、俳諧に長けた遊女として語り継がれています。
 額装された遊女の打掛は、北前船のコーナーでもひときわ人々の目を引いています。日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に認定された三国湊の新たな側面を示す逸品として、ぜひご覧ください。

  
【写真左】遊女の打掛

【写真右】「諸国名所百景」のうち「越前三国乃大湊」
二代広重が描いたもので、三国湊の特徴をうまくとらえています。左上の和船の楫が上へ吊り上げられているのは、河口港のため水深が浅いことを示しており、遊女が描かれ遊興の地であることを伝えています。

みくに龍翔館の情報はこちら


at 11時20分

2018年06月25日

「今月の逸品ver.2」 vol.14 苫小牧ポートミュージアムの「空から見た苫小牧港」

「今月の逸品ver.2」第14回目は、苫小牧ポートミュージアムの「空から見た苫小牧港」 です。
弊社が運営する苫小牧西港フェリーターミナル3階のポートミュージアム床面に苫小牧市空中写真集成図から港の部分を抜き出し「空から見た苫小牧港」として展示しています。
西港フェリーターミナルがある西港区、コンテナターミナル等がある東港区の様子を、まるで空から眺めるように一望できます。
子供から大人まで苫小牧港の細部を発見し、楽しんで頂けます。
苫小牧西港フェリーターミナルにお立ち寄りの際は是非ご覧ください。




苫小牧ポートミュージアムの情報はこちら


at 13時55分

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