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みなとミュージローブログ

2020年11月02日

「今月の逸品 ver.3」 vol.6 神戸海洋博物館の「ゴンドラ(Gondola)」

今月の逸品ver.3」第6回目は、神戸海洋博物館の「ゴンドラ(Gondola)」です。

1968年、イタリア政府とベニス市の特別な厚意により、日本に初めて輸入された実物です。材質は樫(Oak)。船尾左舷側のポッパ(Poppa)と呼ばれる台の上に、ゴンドリエーレと呼ばれる船頭が立ち、長さ3メートルの櫂によって船を操ります。船頭が左舷後方に立って漕ぐため、バランスを考えてゆがんで傾いた船体構造をしています。
長さ : 11m
幅  : 1.7m
定員 : 6人
材質 : 樫

  



  



  

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at 12時34分

2020年10月13日

日本郵船氷川丸の船長交代式開催

9月30日、日本郵船氷川丸の船長交代式が開催され、
10月1日、「氷川丸」船長のバトンが第28代金谷船長から第29代大内船長へと渡されました。


 
  

詳細はこちら
日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸の情報はこちら

at 11時37分

2020年10月01日

「今月の逸品 ver.3」 vol.5 名古屋海洋博物館の「韃靼図(だったんず) オルテリウス製作(1570年製:実物)」

「今月の逸品ver.3」第5回目は、名古屋海洋博物館の「韃靼図(だったんず) オルテリウス製作(1570年製:実物)」です。

韃靼とは、タタールの音訳で、モンゴル高原のタタール部を指した言葉です。地図の中央左端にカスピ海、右下近くにIAPAN(日本)、右端はアメリカが描かれています。ただし当時は、ベーリング海峡は発見されていないため、アメリカ西岸は想像で描かれています。ポルトガルによって日本のことは西洋に伝わっていましたが、測量をしたわけではないため形が不正確です。鹿児島、豊後、山口、土佐、大坂、都(みやこ)などの地名が見られます。 

  

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at 10時51分

2020年09月10日

「今月の逸品 ver.3」 vol.4 フェルケール博物館の「戦後の蘭字一括」

「今月の逸品ver.3」第4回目は、フェルケール歴史博物館の「戦後の蘭字一括」です。

 江戸時代末から海外輸出された日本の緑茶は、木製茶箱に貼られた蘭字と呼ばれる木版ラベルで知られています。現在では、蘭字は、錦絵に続いて明治・大正時代に制作された木版印刷物として研究や展示の対象となってきています。この蘭字は昭和時代に入ると、現在の印刷技術と同様なオフセット印刷の蘭字へと変わってきました。また、アメリカで紅茶やコーヒーが好まれるようになると、緑茶の輸出先は旧フランス植民地のアフリカや西アジア地域へと変わっていきました。そのため、オフセット印刷の蘭字にはフランス語「THÉ VERT」とアラビア語でも「緑茶」と記されています。当館では静岡で印刷されて清水港から積み出された戦後のオフセット印刷の蘭字資料を300点ほど収蔵しています。
 今では豪華客船が着岸する清水港の日の出埠頭では、戦後にアフリカ向け緑茶が盛んに積み込まれて、東南アジアからインド洋、スエズ運河を抜けて北アフリカへと運ばれていきました。アフリカや西アジア向けの蘭字には、アフリカの動物やエキゾチックなアジアの風俗が描かれ、雰囲気もだいぶ変わってきました。そして、当館で収蔵する戦後の蘭字の裏にはフランス語の地名や人物名が書かれているものがありました。調査したところ、これらの地名は茶葉が陸揚げされたアフリカ北岸の港町、アルジェリアのアルジェやオラン、モロッコのカサブランカなどに置かれた現地の茶商の住所であることがわかってきました。当時は、これらの港町の商館がアフリカや西アジアへの緑茶販売網の扇の要となっていました。また、フェルケール博物館で収蔵する戦後の蘭字には未製品が多く含まれており、資料中にある北アフリカから静岡に送られた封筒の中には、当時のアフリカや西アジアで流行っていた風俗や社会状況を反映したデザインの蘭字見本が入っていました。静岡ではこれらの指示書に合わせて蘭字を制作し、茶箱に貼付して輸出していました。戦後の商業ラベルは当時の流通状況まで知ることのできる貴重な資料となっています。なお、当時の茶輸出関係者に聞くと、昭和40年代前半まで茶箱に貼るラベルのことを「蘭字」と読んでいたそうです。
 蘭字のデザインや印刷技術は缶詰ラベルとも影響しあい、静岡の商業ラベルの一時代を築いてきました。

    
   蘭字「ムーラン・ルージュ」   「ムーラン・ルージュ」の裏に書かれた住所は、オラン港近郊の商館だった。

    

    蘭字「ANTAR」                  アフリカから郵送された「ANTAR」の指示書(下書き)

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at 10時45分

2020年08月03日

「今月の逸品 ver.3」 vol.3 日本郵船歴史博物館の「諏訪丸 窓枠」

「今月の逸品ver.3」第3回目は、日本郵船歴史博物館の「諏訪丸 窓枠」です。

 「諏訪丸」(総トン数11,758トン)は1914(大正3)年9月、三菱合資会社(現、三菱重工業(株))長崎造船所で建造され、欧州航路に就航した貨客船です。船名は現在の諏訪大社からいただいています。内装は英国クラシック調で、ベルギーのアルバート皇帝皇后両陛下やチャーリー・チャップリンをはじめ多くの著名人も乗船するなど、長きにわたり親しまれました。

 ちなみに、現在も使われている、日本郵船を表す「二引(にびき)」のファンネルマークがつけられるようになったのは1929(昭和4)年3月からですが、第一船はこの「諏訪丸」でした。

 太平洋戦争中は海軍に徴用され、1943(昭和18)年3月28日、マーシャル諸島ウェーク島付近で潜水艦の雷撃を受けたため任意座礁、船体放棄されました。この窓枠は米国のパイロットが取り外し保管していたもので、戦後50年を記念して日本郵船に寄贈されました。戦前に建造された船の大半が失われてしまった中で偶然生き残ったこの窓枠は、歴史を語る逸品として、開館当初から常設展示されています。

 船らしい丸窓にはめ込まれた厚いガラスには大きな損傷も見られず、長い時間と数奇な運命を経たとは思えないほど良好な状態を保っており、船用品の頑丈さを改めて感じることができます。

 往年の航海中、そして戦時中、この窓からはどのような景色が見えていたのでしょうか。ぜひ、想像しながらご覧ください。

  
   諏訪丸

  
      ウェーク島沖で座礁する諏訪丸                         諏訪丸の窓枠


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at 15時00分

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