全国のみなとの博物館、港情報はここで!最新イベント情報も随時更新中です。みなとの情報が一目で分かる、みなとの博物館ポータルサイト。

みなとミュージローブログ

2019年11月12日

「今月の逸品ver.2」 vol.30東京臨海部広報展示室TOKYOミナトリエの「みなとづくりバーチャル探検」

「今月の逸品ver.2」第30回目は、東京臨海部広報展示室TOKYOミナトリエの「みなとづくりバーチャル探検」です。

「みなとづくりバーチャル探検」は、TOKYOミナトリエの展示の中でも特に人気のコーナーです。
体験者がタブレットを手に取り、床上にある直径6メートルの臨海副都心グラフィック地図にかざすと、タブレットの中にARの臨海副都心の街と情報トピックスのアイコンが浮かび上がります。
情報トピックスには、「コンテナふ頭」、「共同溝」、「高潮津波対策」、「埋立地造成」、「橋・トンネル」、「海上公園」、「臨海部の交通」、「東京港クルーズ」の8つがあり、アイコンをタッチすると、それぞれのトッピクスの解説モードが始ります。
解説モードではトピックスの解説に加え、トピックスにちなんだ360度の映像を見ることができます。タブレットを上下左右に動かすと、体験者があたかもその場にいるように周辺の様子を見ることができ、東京港及び東京臨海部の様々なシチュエーションを体験できます。
ガントリークレーンの操作席や共同溝の内部、高さ126メートルのレインボーブリッジ主塔の最上部からの景色などの普段目にすることのできない場所を体験したり、海上公園やレストランシップから見る東京港の夜景などの東京臨海部の魅力を再発見していただけます。
社会科見学の小中学生や親子連れ、一般の団体など、大人から子供まで来室者の皆さんに大変好評で、お子さんを遊ばせに来た親御さんが一番楽しんでいる様子がよく見られます。
ぜひ、TOKYOミナトリエにお越しいただき、「みなとづくりバーチャル体験」で東京港と東京臨海部の知られざる姿を体験してみてください。

    
 
 東京臨海部広報展示室TOKYOミナトリエの情報はこちら


at 12時15分

2019年10月01日

「今月の逸品ver.2」 vol.29琴平海洋博物館の「焼き玉エンジン」

「今月の逸品ver.2」第29回目は、琴平海洋博物館の屋外展示場に展示している「焼き玉エンジン」です。

 琴平海洋博物館の屋外展示場にある焼玉エンジンは、香川県高松市に本社を置く株式会社槙田鉄工所(現在:株式会社マキタ)が1961年(昭和36)に制作したもので、3気筒、出力・回転数は100馬力/345rpm、シリンダ径・工程は340mm/380mmで、石材運搬船に搭載されていたものです。
 焼玉エンジンは、1890年(明治23)頃イギリスで開発されたレシプロ内燃機関の一種で、焼玉と呼ばれる鉄製の球を熱して、その熱によって燃料を気化した上で燃焼させ動力を得るものです。
 簡便な構造で高い工作精度を必要としないことから製造が容易であったため、多くの中小メーカーが製造していました。
 また、小型船舶等に適しており、始動に時間がかかり、ある程度熟練を要するものの、取扱いや整備はディーゼルエンジンほどの高度な技術を要さなかったため、戦前の日本では広く普及していました。
 しかし、燃料消費量が多く出力も上げることができないため、1965年(昭和40)以降の船舶用エンジンのディーゼル化により次第にその姿は消えていきました。現在、焼玉エンジンが保存されていることは非常にめずらしく、当館の貴重な実物展示品です。

 

 琴平海洋博物館の情報はこちら

at 10時26分

2019年09月02日

「今月の逸品ver.2」 vol.28 蒲郡市生命の海科学館の「イクチオサウルス化石」

「今月の逸品ver.2」第28回目は、蒲郡市生命の海科学館の「イクチオサウルス化石」です。

イクチオサウルスは、恐竜の時代、ジュラ紀の海でいちばんはやく泳ぐことのできる動物でした。力強く水をかくことのできるヒレ、流線型の体、そして平たい尾ビレをもっていました。しかし、イクチオサウルスは魚の仲間でも、イルカの仲間でもありません。恐竜と同じ爬虫類なのです。
デボン紀の終わりに、魚から進化して陸で生きられる動物、両生類があらわれました。両生類がさらに進化して生まれた動物が爬虫類です。爬虫類は陸で生きるのに適応した動物です。けれど、生活の場を海に戻し、一生を海で過ごすようになった爬虫類もいました。それがイクチオサウルスをはじめとした魚竜の仲間です。魚竜は海での生活に適応し、手や足はヒレの形に、体は流線型に進化しています。
イクチオサウルスは、今から9000万年前に絶滅してしまいましたが、その理由はよくわかっていません。
蒲郡市生命の海科学館で展示されているイクチオサウルス化石は体長約3.5m、年代は1億8000万年前、ドイツ南部で採取されたものです。全身が上から見た姿できれいに発掘されるものはめずらしく、貴重な標本です。ぜひ一度当館にてご覧ください。



蒲郡市生命の海科学館の情報はこちら


at 13時28分

2019年08月09日

「今月の逸品ver.2」 vol.27 海の博物館 の「クジラモリ」


「今月の逸品ver.2」第27回目は、海の博物館の「クジラモリ」です。

 志摩半島から熊野灘にかけての沖合では、秋から春にかけて、黒潮に乗ってクジラが行き来する海域でした。
 古い文献や絵図には、この地域で行われていたクジラ漁の様子が残されています。
16世紀頃には、クジラを銛で突く古式捕鯨という方法で、クジラを獲っていました。1隻に15人ほどの漁師が乗った鯨船15~20隻が船団を組み、総勢300人ほどで行われます。クジラを見つけると、クジラに近づいていき、小型の銛から大型の銛へと順に打っていき、数十本打ったところで弱りかけたクジラにとどめを刺すケンを突き立て、最後に勇敢な漁師が、クジラに飛び移り、短刃でクジラの鼻を切ります。ここで、クジラを仕留めたことになります。ただ、この古式捕鯨は、銛を打ち込まれ、逃げ惑う巨鯨と向き合う、とても危険な命がけの漁でした。
 「クジラ一頭獲れば七浦賑わう」と言われていたほど、クジラは肉以外にも油、骨、皮、歯、髭の一本まで捨てるところが無く、クジラ一頭獲れることで、近隣の村々まで潤うほどでした。そのため、捕鯨が盛んであった熊野灘沿岸の地域には、クジラ供養塔や、捕鯨記念碑など、人々のクジラへの想いが碑に残されています。
 海の博物館には、たくさんの捕鯨用具が収蔵、展示されています。クジラを突いた大小の銛や、クジラを解体する包丁、鮮やかな色彩が施された全長13メートル余の鯨船、そして古式捕鯨用具に限らず、近代的な捕鯨砲などの資料もあります。
以上のように、日本人との伝統的で密接な関りをもってきたクジラですが、漁の対象物としてだけでなく、その雄大な姿や流線型のフォルムから、人々の心を惹きつけ、絵画や立体造形、生活用品のデザイン、玩具など、クジラをモチーフにした作品や商品などがたくさん作られています。今回、海の博物館では、そのような作品や商品をたくさん集め、特別展「クジラはアートだ!」を開催しました。見て楽しい展示ですが、捕鯨史や生態の情報も盛り込んでおり、小さなお子様や海外の方でも直感的にクジラの魅力を感じ、ひいてはクジラたちが暮らす海に対しても興味を深めて頂くことができればと思います。


 

海の博物館の情報はこちら


特別展「クジラはアートだ!」についてはこちら



at 15時19分

2019年07月11日

「今月の逸品ver.2」 vol.26 敦賀市立博物館の「ウラジオストク行きのパスポート」(明治39年)

「今月の逸品ver.2」第26回目は、敦賀市立博物館の「ウラジオストク行きのパスポート」(明治39年)です。

 今回紹介するのは、明治39年(1906年)に発行された「ウラジオストク行きのパスポート」です。行き先の欄に「浦塩斯徳(ウラジオストク)」の文字が書かれています。
 当時敦賀―ウラジオストク間は片道約39時間かかり、週3回の運航便が貨客の輸送にあたったそうです。
 敦賀港は明治32年(1899年)に外国貿易港としての指定を受けました。日露戦争(1904―1905)で一旦は貿易を中断しましたが、このパスポートが発行された1年前に日本は日露講和条約に調印し、ロシアとの貿易を再開しました。ロシアはウラジオストクを「東亜への門戸」として貿易の回復に力を注いだといいます。明治39年~大正中期にかけて年々敦賀港からの農産物や綿製品の輸出量が増加し、旅行客が増えたこととあいまって敦賀港は欧亜交通の幹線となりました。
 こちらの資料は当館の1階展示室にてご覧になれます。

     

 
敦賀市立博物館の情報はこちら

at 13時42分

カレンダー

前の月 2019年12月 次の月

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

検索

最近のエントリー

アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

RSS