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みなとミュージローブログ

2013年08月20日

ボトルシップ入門教室を開催しました


名古屋海洋博物館では8月4日に毎年恒例のボトルシップ入門教室を行いました。
この教室は当博物館の人気企画のひとつで小学生から大人の方まで様々な年代の方、約100名に参加して頂けました。



ボトルシップ愛好会の講師の方に丁寧に指導を受けみなさん一生懸命ボトルシップを製作中。



参加された方からは
「宝物になった。」
「さっそく自分の部屋に飾ります」と言った嬉しいお言葉を頂きました。

イベント帰りには会場受付に展示されていた講師の方が作ったボトルシップを「先生が作ったボトルシップはやっぱりすごいねー」と熱心に眺めている方がたくさんみえました。



今までビンの中にどうやって船を入れているのか不思議に思っていた方も実際に作ってみることで船をビンの中に入れる仕組みがわかったかと思います。

また11月2日から12月22日の土日祝にもボトルシップ制作教室が開催されますので興味のある方はぜひご参加下さい。

お待ちしております。

名古屋海洋博物館のイベント情報はこちら


at 14時07分

2013年08月13日

北前船復元船「みちのく丸」乗船記


 前回ご紹介した「みちのく丸」の東京港入港の続編です。写真でお伝えします。


 8月5日午前9時18分。10号その1多目的ふ頭の前面海域に「みちのく丸」は姿を現しました。舳先に立つのが、表(航海長)です。




 9時22分接岸。もやい綱をピアにかけ、人力で船を岸壁にたぐり寄せます。写真は船頭(船長・左)と知工(事務長・右)の力感あふれる係船作業の様子です。

 最近のプレジャーボートのようなエンジン操作で着岸できる船とは異なる和船の接岸・着岸シーンは見ているだけで思わず力が入ります。

 係留中のみちのく丸。和船独特の舵の様子がよくわかります。

ちなみに航海中は「表」が舳先に立ち、「船頭」は艫屋倉(後部のデッキ)に、その前の舵柄あたりに親仁(水夫長)が位置取りするのがルールだったようです。




コンパクトな式典のあと、関係者に船内が公開されました。

写真左は、復興大使の作文朗読の様子。右は、主要スタッフの勢揃い。


      

船内には当然ながら神棚もあります。確認しなかったのですが、神棚の下の段には仏壇を収められる空間があったはず。

この狭い空間に13人からの乗組員が枕を並べたというのも驚きですが、現在の船舶のように水密構造ではないので、安全面だけでなく居住性も低かっただろうと思います。


午後1時葛西沖に向けて出航。途中は英気を養うためお休み。寝返りを打ったら大けがしそうな場所でウトウト・・・



     


1時52分いよいよ展帆。

これが実に楽ではない。無数のロープを操り、体力勝負。まさに格闘技の世界。 

帆柱にウチマワシを取り付け、ロープをほどいていると、帆桁がきしみ、ボンという音とともに突然、片方の帆が開いた。

前後のタグボートが船を安定させているので安心だが、帆が頭上に降ってきて一瞬恐怖を覚える。




帆に引きずられないように、全身の重みをかけロープを操る。一瞬の判断の遅れが事故につながる。



     




 かくして見事展帆に成功。船はゆっくり帆走している(のは、嘘。あまりに風が強く危険なため、7部ほどまでしか帆をあげず、なお且つ後方のタグボートがブレーキをかけて速度の上がるのを防いでいる。結局2ノットほどのゆっくりした速度の帆走を楽しんだ。)。


2時14分。葛西沖帆走のシーン。

これで本日の航海は終わり、ではない。

帆を降ろすのがまた大変。

帆があちこちに絡まり、船上はてんやわんやの大騒ぎ。(作業をしている方にしてみれば普通の手順なのかもしれないが、見ている方からは、大騒ぎに見える)

感心したのは、1枚に見えた帆が4つのパートに分かれて収納されたこと。なんともよく工夫されている。

さあ、帰ろう。

かもめに見送られて再び多目的ふ頭に。



  


どうでしたか、「みちのく丸」乗船記。激暑の夏を吹き飛ばせてくれましたでしょうか。
 

写真は私(伊藤)のものと、船の科学館飯沼学芸部長の作品を使わせていただきました。


at 15時42分

2013年08月09日

今月の逸品vol.22 物流博物館の「菱垣船并ニ渡海之図 」

「今月の逸品」第22回は、物流博物館の「菱垣船并ニ渡海之図 」です。  




菱垣船并ニ渡海之図
巻子装 江戸時代 伝黒川真頼旧蔵

 

菱垣廻船を描いた図と、航路図が一つの巻子に表装されています。


 菱垣廻船は大坂・江戸間を往来した船で、多くの日用品などを江戸へ運びました。船の種類は弁才船。菱垣廻船は舷側が菱垣模様に組んでいるのが特徴で、最盛期には200隻ほどが就航していました。大坂・江戸間を江戸時代後期には2~3週間程度で結んだといいます。

 本図の菱垣廻船には、船尾に近いところに手漕ぎの櫓が描かれています。帆とともに櫓を用いる弁才船は初期のものに見られたといいますが、17世紀末以降、弁才船は帆走専用化が進み、櫓は使われなくなったといわれています。
また、よく見ると船尾にマル通の印の入った旗を掲げています。この旗が何を意味するのか明らかにしませんが、海上の番所を通行する際に通行許可の証として掲げたのではないかという説があります。


 「渡海之図」部分には、熊野大嶋(紀伊大島)から沿岸を行く地乗りルートと、伊豆下田に直乗りする沖乗りルートの2つの海上ルート、大津から江戸までの東海道の陸路ルートが朱書きされています。沿岸の地名や航路の各地点間の里数などの記入もあります。






物流博物館の情報はこちら




at 10時07分

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