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みなとミュージローブログ

2013年08月09日

今月の逸品vol.22 物流博物館の「菱垣船并ニ渡海之図 」

「今月の逸品」第22回は、物流博物館の「菱垣船并ニ渡海之図 」です。  




菱垣船并ニ渡海之図
巻子装 江戸時代 伝黒川真頼旧蔵

 

菱垣廻船を描いた図と、航路図が一つの巻子に表装されています。


 菱垣廻船は大坂・江戸間を往来した船で、多くの日用品などを江戸へ運びました。船の種類は弁才船。菱垣廻船は舷側が菱垣模様に組んでいるのが特徴で、最盛期には200隻ほどが就航していました。大坂・江戸間を江戸時代後期には2~3週間程度で結んだといいます。

 本図の菱垣廻船には、船尾に近いところに手漕ぎの櫓が描かれています。帆とともに櫓を用いる弁才船は初期のものに見られたといいますが、17世紀末以降、弁才船は帆走専用化が進み、櫓は使われなくなったといわれています。
また、よく見ると船尾にマル通の印の入った旗を掲げています。この旗が何を意味するのか明らかにしませんが、海上の番所を通行する際に通行許可の証として掲げたのではないかという説があります。


 「渡海之図」部分には、熊野大嶋(紀伊大島)から沿岸を行く地乗りルートと、伊豆下田に直乗りする沖乗りルートの2つの海上ルート、大津から江戸までの東海道の陸路ルートが朱書きされています。沿岸の地名や航路の各地点間の里数などの記入もあります。






物流博物館の情報はこちら




at 10時07分

2013年07月08日

今月の逸品vol.21 道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の「秀吉の小田原攻めと下田城の模型」



「今月の逸品」第21回は、道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の「秀吉の小田原攻めと下田城の模型」です。  

秀吉の小田原攻めと下田城の模型



豊臣秀吉と後北条氏の対立により、天正16年(1588)、後北条氏の水軍の守りの拠点として下田城が整備されました。下田城は、海抜72m余の高台を中核として、これを囲む空堀が延々とめぐらされています。下田城にこもる清水康英と長曽我部・九鬼・脇坂他1万を超える豊臣水軍との間で戦となり、およそ50日ほどの籠城戦が繰りひろげられました。中世の海賊城として全国的にも珍しい下田城は、現在でも空堀や曲輪等が良好な状態で残されています。
当館では、下田城を模型で復元し、展示するとともに、展示室からは下田城跡を遠望することができます。




―JGFAカジキミュージアム―

当館目の前にある下田湾にて毎年開催される国際カジキ釣り大会は今年で第35回を迎える盛大な国際大会です。
黒潮の流れる下田沖から伊豆諸島周辺にかけては絶好のフィールドです。
毎年下田市民もサーポートメンバーとして大会を応援しており、その歴史ある国際カジキ釣り大会の第30回を記念して、当館のミュージアムに新たに併設されたミュージアムです。
本来の下田の歴史を紹介するミュージアムとご一緒にご覧いただけます。
カジキ釣りの魅力や大会の歴史、実物大のカジキのレプリカなどを紹介しております。 

 

  

道の駅「開国下田みなと」(ハーバー&JGFAカジキミュージアム)の情報はこちら



at 15時39分

2013年06月10日

今月の逸品vol.20 みくに龍翔館の「エッセルの日本回想録」




「今月の逸品」第20回は、みくに龍翔館の「エッセルの日本回想録」です。  


 三国湊とオランダ人工師エッセル~その足跡をたどって~


江戸時代から明治時代にかけて、海運業で栄えた三国湊。九頭竜川河口に位置し、水深の維持に支障をきたしていたことから、港の修築工事をすることになりました。そこで、招聘されたのが、オランダ人工師エッセルです。エッセルは、明治9年(1876)に三国を訪れ、港湾修築工事の設計を行いました。そのわずか2年後にエッセルは日本を去りますが、工事は同じくオランダ人技術者のデ・レイケによって引き継がれ、明治15年に見事、三国港突堤が完成。日本の近代土木史に、大きな足跡を残しました。現在、三国港突堤は、国の重要文化財や近代化産業遺産に指定されています。
エッセルが日本を離れてから30年以上も後にまとめられた回想録。その中には、三国での思い出がいきいきと記されていました。


 エッセルの日本回想録

 エッセルは、明治43年(1910)、2年がかりで自分の足跡を20数冊の回想録にまとめました。このノートはその第2巻で、日本行きを希望したきっかけにはじまり、帰国途中の船旅の紀行までが記されています。三国、鳥取、新潟、山形、福島のことが特に詳しく記され、当時の土木事情を知る貴重な文献となっています。風光明媚な三国の風景、海女漁の様子、聖なる地“雄島”など三国滞在中の詳しい記述も多く見られ、三国がエッセルにとってたいへん印象深い地であったことがうかがえます。

   

  
エッセルの日本回想録


三国港突堤工事中の写真


エッセルの日本土産


エッセルについて


みくに龍翔館の情報はこちら
 

at 14時15分

2013年04月26日

今月の逸品vol.19 海とくらしの史料館の「かわいさ日本一!巨大マンボウ『チョボリン』」



「今月の逸品」第19回は、海とくらしの史料館の「かわいさ日本一!巨大マンボウ『チョボリン』」です。  

このマンボウは2004年11月18日島根県大田市沖でまき網をしていた共和水産(鳥取県境港市)が捕獲したものです。
   全長:275cm    体高:143cm 
   体重:1.25t     性:メス(約35kgの卵巣)
   巨大マンボウのはく製公開は2006年3月18日

※ 愛称名は同年6月3日「チョボリン」と発表

★マンボウ科のマンボウ属Molaには、マンボウMola molaとゴウシュウマンボウMola ramsayiの二種類が知られており、日本周辺にはマンボウのみが分布しているとされていましたが、最近のミトコンドリアDNAを用いた分子系統学的研究により、日本周辺のマンボウには、遺伝的に異なる二つの集団がいることが明らかになってきました。
2013年3月4日 日本魚類学会「日本産魚類の追加種リスト」にウシマンボウMola sp.AとマンボウMola sp.Bが追加され、当館の「チョボリン」はマンボウMola sp.Bとなり、この種類では日本一になると思われます。

   ○ウシマンボウは頭部が隆起し、舵(かじ)びれの波型はほとんど見られない。
   ○マンボウは頭部が隆起せず、舵びれに明らかな波型を持っている。
    ( 注:識別できるサイズは2m以上に限られるとされています)









at 13時12分

2013年04月02日

今月の逸品vol.18 石川県銭屋五兵衛記念館の「銭五(銭屋五兵衛)家旧蔵仏壇*160年の時を超え*里帰り」


「今月の逸品」第18回は、石川県銭屋五兵衛記念館の「銭五(銭屋五兵衛)家旧蔵仏壇*160年の時を超え*里帰り」です。  

 *ー銭五(銭屋五兵衛)家旧蔵仏壇*160年の時を超え*里帰りー*

〔銭五ゆかりの仏壇とは?〕
 藩政期、加賀国宮腰(みやのこし)現在の金沢市金石(かないわ)を拠点に活躍した豪商銭屋五兵衛(1773~1852)があつらえたとされる仏壇が平成24年6月に、白山市の米岡三良(さんりょう)さんより沢山の人に観賞してもらいたいとの思いで寄贈された。

〔河北潟疑獄事件とは?〕
 五兵衛は北前船交易で巨万の富を築いたが、晩年、河北潟を埋立し美田にする干拓事業を始めたところ、潟の魚が大量に浮上し、魚を食した人々が亡くなるという事件が起き、銭屋に投毒の疑いがかかる。五兵衛や息子たちは投獄され、五兵衛は獄死。加賀藩に300万両(現在の500億円以上)に及ぶ財産を没収された。死の翌年、家財は競売にかけられているので、この仏壇もその中にあったと思われる。事件中、加賀の藩医黒川良安が調査、硫化水素発生による自然腐敗説を唱えるも当時の政権下では取り上げられず、この事件は、五兵衛たちの無実が明かされる事はなかった冤罪である。

〔仏壇の仕様〕
 約160年の時を経て「里帰り」を果たした五兵衛ゆかりの仏壇は、幕末の科学者大野弁吉も彫刻を施した特大品。
 仏壇業界からも美術品としても又工芸品としても素晴らしいものと高い評価を頂いている逸品です。
 高さ台座を含め2.3メートル、幅1.5メートル、奥行き1.1メートル
 仏壇の規格では最大級。漆や蒔絵には金沢仏壇の技法がみられる。
 米岡さんの3代前の12代当主孫作さんが購入し、「五兵衛の最盛期に作られた品」として米岡家に代々伝えられ、地元でも「お宝」として知らされていた。
 五兵衛の隆盛と信仰心のあつい人柄をしのぶ展示品として館内に常時展示されている。


  


大野弁吉の彫刻


石川県銭屋五兵衛記念館の情報はこちら
 


at 10時24分

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