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みなとミュージローブログ

2017年04月04日

新着資料紹介のコーナー第34回「東京海洋大学 百周年記念資料館・明治丸記念館」


今回ご紹介するのは、東京海洋大学 百周年記念資料館・明治丸記念館の「明治丸」です。
 明治丸は明治政府がイギリスに発注し、グラスゴーのネピア造船所で1874(明治7)年に竣工した船です。
燈台巡廻船として作られたこの船は、特別室やサロンも備えた豪華な仕様で、ロイヤルシップの役目も兼ねていました。内部には明治天皇のための部屋「御座所」があります。
現在の小笠原領有に大きく寄与したと言われる1875(明治8)年の小笠原諸島への航海や、翌1876(明治9)年には、のちの「海の日」制定のもととなった明治天皇の乗船など、歴史上の重要な場面で活躍しました。
その後、1896(明治29)年に商船学校(東京海洋大学海洋工学部の前身)に譲渡され、係留練習船として昭和20年までの約50年間に、5000余人の海の若人を育てました。その後、1978(昭和53)年には、わが国に現存する唯一隻の鉄船として、国の重要文化財に指定されました。
現在は東京海洋大学越中島キャンパス内に保存され、多くの見学者を受け入れています。
また、海の日のイベントやクリスマス・さくらまつりのライトアップなど、越中島のシンボル的存在として、地元の方々に親しまれています。

    
※ただいま、「第二回 明治丸フォトコンテスト」実施中!一般の方からの応募も受け付けています。
ぜひご応募ください。

詳細はこちら

東京海洋大学 百周年記念資料館・明治丸記念館の情報はこちら



at 11時04分

2017年02月24日

新着資料紹介のコーナー第33回「蒲郡市生命の海科学館」

 今回ご紹介するのは、蒲郡市生命の海科学館の「インカクジラ化石」です。


 生命の海科学館は、海のなりたちと生命の進化の歴史を紹介する科学館です。
クジラは哺乳類でありながら、陸から海へかえって進化した生物です。生命の海科学館には、館のテーマを象徴する存在として、体長約8mのクジラの化石が展示されています。
 これまで、この化石のクジラはナガスクジラ類の一種であるとされていましたが、種類は特定されていませんでした。
ところが、平成27年2月に館を訪れた国立科学博物館の甲能直樹研究員らにより新種の可能性があると指摘され、状況が一変します。
同年6月、科学館で公開調査が実施され、甲能研究員らにより、化石の詳細な計測や耳の骨の剖出が行われました。その後も研究が続けられ、平成28年10月、これまで知られていない新しいクジラであることが、正式に認定されたのです。化石のクジラは、新たに「インカクジラ」と命名されました。
当館のインカクジラの化石は、ホロタイプという標本に指定されました。
ホロタイプとは、種の基準になる標本のことで、インカクジラの基準になる標本は、生命の海科学館の化石となったのです。
これにより、当館の化石は世界で一つだけの特別な標本になりました。

3月5日から6月11日まで「ミニ企画展 新種認定!インカクジラ展」を開催中です。
是非この機会に生命の海科学館へお越しください。

<インカクジラ>
学名 Incakujira anillodefuego(インカクジラ・アニリョデフエゴ) 産地 ペルー  年代 約750 万年前


蒲郡市生命の海科学館の情報はこちら




at 10時56分

2017年02月06日

新着資料紹介のコーナー第32回「敦賀市立博物館」

 今回ご紹介するのは、敦賀市立博物館の「立石岬灯台のレンズ」です。

 敦賀半島先端の立石岬に建つ立石岬灯台は、明治14(1881)年7月に点灯した日本海側で二番目の洋式灯台です。お雇い外国人の手を離れた日本人技術者の手で作られたと言われており、下層は堅牢な石積みを持ち、現在でも現役で使われています。昨年11月に登録文化財となることが決まりました。
 敦賀市立博物館ではこの灯台の初代のレンズを展示しています。フランス製のフレネルレンズで、基礎部分に「1880 PARIS」の刻印があります。
 古代からみなととして栄えた敦賀に最初の文明開化の光が灯ると、時を置かずして本州日本海側で最初の鉄道も走りました。また国際港としてロシアの浦塩斯徳をはじめ、多くの外国の船が敦賀湾を行きかいます。そんな敦賀の海を長らく照らしてきたレンズは、現在、敦賀市立博物館の最初の水先案内人として、敦賀の歴史を照らしてくれています。

 

(参考) 現在の立石岬灯台


敦賀市立博物館の情報はこちら


at 14時22分

2017年01月19日

新着資料紹介のコーナー第31回「海とくらしの史料館」

今回ご紹介するのは、海のくらしの史料館の「ホホジロザメのはく製ホオジロウ」です。



 ホホジロザメは、尾鰭は下葉が長く、全体として三日月形を呈する。尾柄側部には1本の隆起線がある。第1背鰭起部は胸鰭内角部より前にある。上顎歯はほぼ二等辺三角形状で、上下顎歯ともに強い鋸歯縁をもつ。強暴な人食いザメの一種である。練製品、フカビレの原料。
 (和名)ホホジロザメ (学名)Carcharodon carcharias
 (目)ネズミザメ  (科)ネズミザメ 
 (分布)北海道南部以南の日本、世界の温帯・熱帯海域
 (全長)3850mm



日本一の巨大マンボウ「チョボリン」、深~い海の底からやってきたリュウグウノツカイ、クロマグロの「クロキチ」等4000点の魚のはく製を展示しています。是非お越しください。

海のくらしの史料館の情報はこちら


at 10時32分

2016年12月12日

新着資料紹介のコーナー第30回「海の博物館」

今回ご紹介するのは、海の博物館の「八丁櫓の鰹船」です。




 鰹は、大きいものは全長80~90センチ、10キロ程に成長するサバ科の回遊魚で、三重県の熊野灘沿岸には、春に来遊して、秋には南下していきます。
 明治の末頃(1910年頃)までは、熊野灘の漁師たちは、一隻の船に八本の櫓をたて立てて漕ぎ進める「八丁櫓」(はっちょうろ)の「鰹船」で鰹一本釣りの漁に出ていました。
 明治初期に記された「三重県水産図解」には、「鰹船」について「外面に彩色を施し、緑あるいは黒色を以って図章(印章)を画き、船主の記章を付け、それを見ればどこの村の誰の船かが一目瞭然である。一艘に十人ないし十五、六人乗り。櫓八挺を立てれば、はやいこと矢の如し、僅か三時間に二十里(36~37キロ)内外に達する」などとあり、鰹の群れを黒潮の流れの中で探すこと、また餌を撒き鰹の群れを集めること、釣り上げた鰹を左脇に抱えて釣り針を外すことなど、当時の鰹一本釣り漁を詳しく記載しています。
 鰹漁は、鳥羽から南、熊野灘沿岸50カ所の漁村でおこなわれており、一隻の船に親子、兄弟、親戚一同らで乗り込み、朝暗いうちに活きた鰯をカンコ(活け間)に積み込むと、沖の漁場に向かいます。鰹の群れを見つけると、船を近づけて活きた鰯を投げ込み、群れを飼い付けてから活きた鰯を餌にして釣り上げ、鰹の食いが良ければ、擬餌針に替えて釣り続けます。
 一日で300尾の鰹を釣れば大漁です。500尾、1000尾も釣れば、大喜びで大漁を知らせる「印旗」(ノボリ)をあげて帰ってきました。村で待つ人々は、印が上がっている船の模様でどの船が大漁かがわかったといいます。氷や冷蔵庫のないこの時代、釣り上げた鰹は、鰹節に加工されてから、消費地に送られていました。
 明治41年(1907)春、県下で初めて発動機を付けた「南島丸」が八丁櫓の鰹船の4倍もの水揚げを記録、それを機に鰹船の動力化がいっきに進み、八丁櫓の鰹船の姿は消えていき、絵図や古写真に残るだけとなってしまいました。

海の博物館の情報はこちら




at 10時18分

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